ご祈祷・ご予約について
受付時間 |
9:00 ~ 17:00 |
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ご予約 | お電話( 042-482-5207 )にてご予約ください。 |
服装 | 御祈願は御神前にて執り行いますので、神様に失礼の無い服装でお願いします。 |
玉串料について | 玉串料は御神前にお供えしますので、祝儀袋・熨斗袋(のしぶくろ)に『玉串料』『初穂料』『祈願料』とお書きになり、受付時に玉串料を添えてお申し込み下さい。
玉串料はご祈願の内容や人数によって違いますのでお問い合わせください。
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ご祈祷・ご祈願 |
初宮参り・七五三
厄除・厄祓・厄年 安産 子宝・子授 家内安全 交通安全(車清祓) 年祝 病気平癒 社業繁栄 商売繁盛 心願成就(心願・就職・学業・合格) 奉賽(神恩感謝) 神棚祓(入魂・抜魂・遷座) 安全祈願(工事・作業) |
お宮参り・七五三 熨斗袋の書き方
ご祈祷を受けるお子さまのお名前をフルネームで書くのが一般的です。
また、水引は「何度あっても良いお祝いごと」で使用する「蝶結び」をお選びください。
※熨斗袋(のしぶくろ)をご用意している神社もありますので、お問合せください。
お宮参り・七五三 熨斗袋の書き方
ご祈祷を受けるお子さまのお名前をフルネームで書くのが一般的です。
また、水引は「何度あっても良いお祝いごと」で使用する「蝶結び」をお選びください。
※熨斗袋(のしぶくろ)をご用意している神社もありますので、お問合せください。
安産祈願
妊娠や子供の誕生、成長の過程で、子供が無事に生まれ、丈夫に育つことを願うさまざまな産育に関わる神事が行われています。妊娠五ヶ月目(地域によって日数に相違)の戌(いぬ)の日には、神社にお参りし、安産を祈願し、帯祝いと称して妊婦の腹に木綿の布で作られた腹帯(岩田帯)を巻きます。これを戌の日におこなうのは、犬は多産ということにあやかるためや、この世と来世を往復する動物と考えられていること、また、よく吠えて家を守るため邪気を祓う意味があるといわれています。また、腹帯には胎児を保護する意味があるほか、胎児の霊魂を安定させるなど信仰的な意味もあるといわれています。
初宮参り
子供が初めて神社にお参りする初宮参りは、氏神さまに誕生の奉告と御礼をし、氏子として今後の健やかな成長を神さまに見守ってもらうようにと祈願するものです。一般的に男の子は三十一日目、女の子は三十三日目に行われていますが、地域によって異なることもあります。子供の体調や天候などにも気を使い、一般的にはこれらの期日の前後で、最良の日を選んでお参りをします。
七五三祈願
古来より日本人は人生の通過儀礼のひとつとして、三歳、五歳、七歳の成長の節目に神社にお参りしてきました。もともとは、三歳男児・女児の「髪置」(髪を伸ばし始める)、五歳男児の「袴着」(袴をつける)、七歳女児の「帯解」(付け帯を取り、帯を締める)という儀式が、七五三詣として定着したものです。お子様の健やかな成長を神様に感謝し、お祈りしましょう。
国領神社 由緒
神社名 | 國領神社 (コクリョウジンジャ) Kokuryo Shrine |
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ご祭神 | 主祭神 神産巣日神 (カミムスヒノカミ) 配祭神 天照大御神 (アマテラスオオミカミ) 建速須佐之男命 (タケハヤスサノオノミコト) |
鎮座地 | 東京都調布市国領町1丁目7番地1 |
例大祭 ・ 年中行事 | 1月12日 歳旦祭 |
國領神社 千年乃藤 | 武蔵野の一隅に藤の大木あり 樹齢400~500年と言われる藤の木の花は、4月の下旬から5月の上旬にかけて開花し、4月から5月にかけての連休の頃が一番の見頃です。(桜の開花が早い時期は、藤の花も早まります) |
沿革 |
現在の國領神社は、國領神社(第六天社)と神明社(八雲神明社・杉森神明社)の二社を合わせた神社です。
國領神社と神明社の創建年月については共に不明です。 昔の國領神社は以前は第六天社と称し、古代多摩川のほとりにありました。
第六天社は薬師寺(現常性寺)の管理下の頃、祭神は薬師如来の守護神十二神将の内の第六番目の第六天神でした。
一六四〇年頃、常性寺が街道筋(甲州街道)に移ったとき、国領町一八四番地(現在の八雲台一丁目・八雲台小学校裏の都営住宅の所)に同じように移ってきました。
明治の神仏分離の時に寺から分かれ村社になり祭神を神産巣日神としました。
明治八年 「國領神社」と改称。
その頃の境内地は五六五.七五坪で、明治四年十月に村社という位を頂いた時には、社殿は六尺に四尺の小屋で、国領の鎮守として崇敬されていました。
昔の神明社も、古代多摩川のほとりにありました。
杉森の地にあったことから杉森神明社とも呼ばれていました。
神明社も薬師寺(現常性寺)の管理下にあり、祭神は建速須佐之男命で明治四十二年十一月十七日天照大御神を合祀して一緒に奉られていました。
一六四〇年頃、常性寺が街道筋(甲州街道)に移ったとき、国領町一八二番地(現在の国領町一丁目・現在地)に同じように移ってきました。
しかし、時代の推移で、旧國領神社の境内地近隣に都営住宅の建築計画の為、やむを得ず境内地を移譲し、昭和三十八年十月十二日に旧國領神社と八雲神明社とを合わせ、社名を國領神社として現在に至っています。
(
公式サイトより引用)
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